日本豊受自然農の「自然化粧品事業からの農業参入」公開しました

ご好評、ご要望に応え「アグリビジネス新規参入の判断と手引き ~異業種からの参入事例集/ビジネス性の考察と将来展望~」の日本豊受自然農の「自然化粧品事業からの農業参入」由井寅子代表執筆部分のテキストを公開します。※書籍全体の概要と購入は以下のリンクボタンから。

発刊2016年1月末
定価64,000円+税
体裁B5判ソフトカバー 609ページ
ISBN978-4-86502-095-3
目次

自然化粧品事業からの農業参入

農業生産法人 日本豊受自然農 株式会社
代表取締役社長 由井寅子

自然型農業&六次産業化を特徴とするビジネスモデル

私には理想があります。それは人が幸せで健康で生きるには、どうすればいいか、それは自然と共に生き、自然の流れに沿って、自然を害さない、安心安全な物を提供したいと云うことです。人間は自然の一部として生かされているのであるから、自然を害してまで利益を得る必要はないのです。私達の商品、作物は、まずは安心・安全なもの、そして栄養価の高いもの、人を害さず、人を養うものづくりを徹底しています。

私たちは、平成14年から化粧品原材料の供給から農業への取り組みを始め、平成23年から農業生産法人化し本格的に農地を取得して自然型農業展開と六次産業化に取り組んでいる農家です。

まず、体をつくる「食」や、体につける「化粧品」などは、ナチュラル、オーガニックが一番であり、日本人の将来の健康のことを考えております。体に害を与えるものは使わない、また栄養ある、そして美味しいものを供給したいという方針で行ってきました。現在は、自然型農業から食品、化粧品などの加工、東京でのオーガニクスな日本食のレストランやアンテナショップなどのマーケティングまで自前、グループで行っている農家です。

農業としては、原材料となる農産物は、自然な種(自家採種、在来種、固定種)にこだわり、化学農薬、化学肥料は一切使用せず、日本古来の乳酸菌や麹菌などを発酵技術や欧州伝統のハーブやホメオパシーの技術を利用した土づくりにもこだわった自然型農業を展開しています。また、化学肥料を使わず、自然型農業でつくった野菜の方が、土壌菌やミミズなどの土をつくる生物や微生物とのコラボレーションや根を深く発達させて多くのミネラルや必須微量元素を取り込むことで栄養豊富な野菜となります。

このような農法にこだわり、現在は、熱海市と三島市の間に位置します富士山と駿河湾を望む300mの高さの静岡県函南町農場と、洞爺湖を望む北海道壮瞥町の両農場を合わせ410a(洞爺農場の敷地全体で38万㎡の山林)の田畑で100種類を超える農産物を生産しています。

 .静岡県函南町の六本松農場 
 北海道壮瞥町仲洞爺農場

一方で六次産業化にも積極的に取り組んでおります。化粧品、食品加工、飲料、酒類製造、グループでの通販、直販、そして東京でのオーガニクス日本食レストラン事業などを行っています。農業生産法人として化粧品製造免許をとり、自然化粧品の製造に取り組んでいます。自社農園自然農でのヘチマ水、カレンデュラやエキネシアなどのハーブ、ニンジンやキャベツなど自然農野菜などを原材料に使い、しかも石油由来原材料を使わない、ナチュラルな化粧品として、化粧水、乳液、ハンドクリーム、ジェル、スキンケアクリームなどを製造販売しています。

函南農場隣接で食品加工棟を建設し、化学調味料・保存料等無添加の健康常備食「レトルトパック」、味噌・豆腐製造をはじめ、自社自然農園の農作物の特徴をいかした加工食品などの生産も行っています。

.静岡函南圃場に隣接する食品加工棟 
レトルト、冷凍保存、惣菜供給などの加工作業

また、もう1棟の加工棟では、農場で育てた自然農ハーブで、北米インディオが健康に欠かせない重要なハーブ、エキネシアや、欧州でも最も人気のあるハーブの1つであるカレンデュラ、、アーユルヴェーダにも欠かせないホーリーバジルなどを原材料にしたハーブ発酵飲料の事業化にも取り組んでいます。

グループの関連企業にて、洞爺及び函南の自然農ハーブを原材料にした健康ハーブ酒(マザーチンクチャー)、フラワーエッセンスなどの酒類の製造にも取り組んでおります。

酵素発酵・乾燥加工棟
ハーブ発酵の加工場見学
豊受オーガニクスショップ&レストラン

そして平成26年からは、自社農場のハーブや野菜と加工食品などを原材料に活かした日本食のレストランを、日本食コンテストなどでも受賞歴ある料理長に参加していただき、東京世田谷区用賀にプロデュース、合わせてアンテナショップ機能を持つ豊受オーガニクスショップ&レストランをオープンしています。

企業グループの農業参入の方針

然型農業&六次農業化で日本の「農業」(地域再生)と「食」の復興・自給力向上を目指しており、「食」については「第一に安心、安全、第二に栄養・ミネラルが豊富で、第三に、美味で、できれば見た目も美しく」をモットーとしております。そのために、世界ではOrganicという名称で多くの方に受け入れられ、また日本でも、子どもの健康を願うお母さん方を市場のニーズも高まっている自然型農業(自然農)を特長と強みにした事業確立を目指しています。

Organic・自然農という差別化のこだわり

豊受自然農の農業の特徴の1つは、まず自然な種にこだわることです。安全性に不安のある遺伝子組換の種や、雄性不稔(次代の種がとれない)F1種の種などは使わずに、自家採種、在来種、固定種などでの、伝統的な栽培方法の実践を参入当初から方針しております。

次に、農薬など人体や環境に影響が心配される化学物質不使用という方針です。特に化学薬品としての農薬・殺虫剤などは、人体や生態系への様々な悪影響が懸念されるものです。サステナブルな社会や農業へ、無農薬・Organicな農業の実現は将来避けては通れない課題です。企業としては、農薬・殺虫剤一切不使用という方針で、環境にやさしい自然型農業への挑戦を行っております。

また、ここから進んで農作物はもとより、加工食品、化粧品、またレストランの食材として、最終消費者が使う段階までの安全、安心を気遣って、合成保存料、石油由来系の添加物や化学調味料などの不自然なものは使わない天然の材料にこだわっていこうという方針です。

加えて、肥料についても、窒素、リン酸カリなどの化学肥料を使うことは、発がん性物質である硝酸態窒素(植物が十分固定化していない窒素)を高濃度に含む農産物を世に送り出すことにつながります。生野菜として硝酸態窒素を多く含む野菜を食べることは、菜食主義=健康の常識を覆し、硝酸態窒素を多く含む生野菜を食べることで逆に健康を害することがわかってきており、今、健康に関心のあるお母さん方の中では、この硝酸態窒素の問題が大変話題になっています。こういった背景もあり、私達は、農薬に続き、硝酸態窒素を増やす化学肥料は一切不使用という方針で展開しています。

さらに、化学肥料だけでなく、様々な有機肥料を大量に畑に入れることは、植物の根の発達を怠けさせ、結果として、肥料分は多いがミネラル、栄養分が昔ながらの野菜に比べて著しく不足した野菜もどきの野菜という栄養・ミネラル不足野菜につながっていることもわかってきました。

そのため、肥料を畑に足して肥料を栄養として農作物を育てるという発想ではなく、土壌を活性化させる触媒として、植物活性液高度に希釈して使うことで土壌菌の活性を上げることや、クヌギの落ち葉堆肥やハーブなどの植物や、自然農の牛糞を乳酸菌や麹菌で完熟発酵させた堆肥を1㎡にわずか10gとごく少量まくことで、土壌菌のバクリテリア叢の活動を活発化させることで、根でいうと主根でなく側根を含め大きく深く根をはらせることで、植物自体の力と土壌菌の力で、慣行農業に劣らない収穫も目指せ、採算に乗り、安心・安全な農産物を供給できる農業に挑戦しています。

特にインターネットをはじめ、健康に関心のある最終消費者が、農薬をはじめとする化学物質や硝酸態窒素の健康への影響などの問題を農家よりも関心を持っているような状況もあり、農業を取り組むには、この安心・安全を食、農業に求める消費者ニーズのトレンドを踏まえた農業を行っていくことが、将来の成功へとつながっていると感じています。幸い私どものこういったトレンドが多くの消費者にも受け要られる時代となり、特に先進のトレンドを目指している企業であると自負しています。

農業参入での成功のポイント

六次産業化を合わせた農業参入での成功要因の1つは顧客ニーズがあり、将来性のあるナチュラル&オーガニックにこだわるビジネスコンセプトだと考えます。

また、流通・販売を他人まかせにせず、自ら取り組んでいくことが、結局は農村にもお金が回り、都会と農村が循環する地方創生のビジネスモデルにつながると考えています。その点、自然療法や化粧品事業などを通じての数万人の顧客とのつながりは六次産業化の取り組みでも大きくプラスになりました。

一方で、本格的な六次産業化を含む農業事業展開を行うには、日本の農家の多くの経営スタイルである家族単位の小規模の事業スタイルでは資金的にも人材的にも難しいと思います。自然療法、教育、化粧品、レメディー等の事業でこれまで蓄積した人材、資金を投入して企業経営として、農業に参入することで初めて可能になったものだと思います。

一方、グループで教育、出版、健康療法展開も行っているため、農場開放のツアーや料理教室などにも実験的に取り組んでおり、自然農に取り組むことが、農業事業単体の収益という面だけでなく、グループ全体の企業価値やPR力アップにも大きく貢献していると考えています。

函南農場での収穫祭(サトイモ、サツマイモの収穫)と洞爺農場での花摘みツアー
  「食育」の座学

なお、農業というものは自然を相手にし、農作物も自然の摂理に基づいて育ち収穫されるものです。参入と成功には、様々な知恵と工夫と情熱がなければなし得られません。かくいう私どもも、試行錯誤や様々な失敗経験、苦労に次ぐ苦労の連続であり、これからも様々な挑戦を続けていくものであります。しかし、農業は国の礎であり、食は健康のもとであります多くの志ある企業が、農業に参入し日本の農業が栄えていくことが、将来の日本のためにも欠かせないと考え、今回は、私どもが自然農と六次産業化に取り組んできた経験、苦労してきた部分も含め紹介させていただきます。

農業参入のきっかけ

私は、35歳の時に、英国の地で潰瘍性大腸炎という難病に倒れ、幽体離脱も経験し、生死を彷徨った時に、イギリス人の知人の紹介で英国の王室などでも親しまれている自然療法ホメオパシーに出逢い、命を助けられました。実際に、この難病がわずか4粒の砂糖玉(レメディー)で、2ケ月で治癒しました。そして、その病気の背景となった薬害(医原病)や、インナーチャイルド(心の闇・トラウマ)などを癒すことで健康を取り戻すことができました。これが縁で当時の放送関係の仕事を辞め、英国でホメオパシーのカレッジ、大学院に通い勉強し、日本人として初めて英国ホメオパシー医学協会の認定試験に合格し、ホメオパス(ホメオパシー療法家)となりました。そして英国でホメオパシークリニックを開業後、日本には、世界で10億人以上が親しむホメオパシーの療法家や教育者がいなかったため、日本での健康相談や講演、療法家育成のための帰国を請われたこともあり、平成8年から帰国し、ホメオパシーの日本、世界での普及・発展に取り組んできました。

ところで、ホメオパシーの療法家として多くの方の健康問題をみていますと、日本では、欧州などに比べ、複雑な病気や難病が多いことに驚かされました。また、アレルギーなども含め、特にアトピーなど皮膚症状には、ホメオパシーのレメディー(砂糖玉)での対処に加えて、食べ物を、農薬を使っていない自然なものに変えさせることで、よくなっていきました。痒かったり、痛かったりするお肌を直接ケアする化粧品、クリームへのニーズ、それもステロイドなどの副作用のトラウマを持った方からは、できるだけ自然な材料だけで化学物質無添加でお肌をケアする化粧品をつくってほしいという要望が強かったことが自然化粧品事業立ち上げを決心した理由です。

化粧品事業スタートにあたり、化粧水などとして古来親しまれてきたへちま水にハーブを加え化粧水や乳液、またお肌をケアするクリームには、ハーブ、レメディー入りのみつろう入りの天然材料100%のビーワックスクリームなどから化粧品事業をスタートしました。

この化粧品事業スタートにあたり、へちま水や、ハーブなどの材料を自然農で供給したいというニーズが自然農を始めるきっかけとなりました。

また、一方で癌やアトピーの方など、ホメオパシー療法と並行して、無農薬・無化学肥料の栄養ある野菜を食べると症状の改善が急速に進む方が多く、また、スタッフの健康のことも考えると、安心安全で栄養ある農作物を原材料にした食事を提供することが健康の基本であり、従業員への最大の福利厚生ではないかと考えて社員食堂用の野菜を供給しようとしたのが、農業、食品加工事業への進出にきっかけとなりました。

そして、これら化粧品の原材料となる農作物については、私が欧州に滞在しドイツのオーガニックな農業の現場を見学し、植物療法やハーブを研究していた経験から、原材料はオーガニックでナチュラルなものでなければならないと判断し、自家採種、在来種、固定種などの自然な種にこだわり、農薬や化学肥料を使わない原材料を使うという方針を決め、供給していただける農家の方を探しました。

ところが平成12年当時は、何件もの農家から慣行農業でなければ安定供給はできないと断られました。幸い、私自身が幼少期、実家がとても貧しい農家で、種も農薬も化学肥料も買うことができず自然農を体験していたという境遇を持っていたため、出来ないわけはないと農地を探し、へちまとハーブの栽培から農業を始めたのがそもそものきっかけでした。

参考文献

拙著「ホメオパシーin Japan」「ハーブ&マザーチンクチャー」(いずれもホメオパシー出版刊)

へちま ハーブの栽培と土地取得の失敗

無農薬でのヘチマ栽培については、多くの農家に声をかけた結果、西日本で1件の農家が栽培に手をあげてくれました。しかしへちま栽培は、委託した先の豊作、不作の年が極端なこともあり、安定してへちま水を入手するため、自社としてもヘチマ栽培に取り組むことを決意しました。これが農業進出のきっかけの1つです。

知人の紹介で将来農地として手に入るという話があり、平成14年に群馬に農事組合法人を設立しました。当時、私どもの拠点は東京にありましたが、農地から20分以内に農業従事者が住む形を求められましたので、農地の近くの一軒家を買い、スタッフ1名が群馬に半分住み込み、東京と往復生活することで、開墾と栽培からスタートしました。そして、平成17年には有限会社(現在の農業生産法人の前身)を設立し、1名は群馬に移り住んでの農業がスタートしました。ヘチマやハーブの栽培についてはある程度軌道に乗りかけた時期に、約束されていた土地を取得できないという大変ショックな連絡を受けることになりました。せっかく開墾してきた土地を手放さないといけないという苦渋の決断とどうやって、農業をこれから継続していけばよいかについて、悩みました。

農業をできる山林を探す

この対策を検討した中で、農地は買えないが山林は買えること。山林では一定の畑作が認められていることから、農業従事者がいて、土地があれば農業は可能だと気づき、北海道に絞り、全ての森林組合に、一部でも農業ができる適切な森林は売っていただけないかというお手紙を書きました。北海道の4つの森林組合から売却候補の森林について回答をいただきました。そして東京からのアクセスは、北海道の場合、新千歳空港からなります。農業というと何度も出張して立ち上げていかなければなりませんので、コントロールするには、最もアクセスがよい洞爺地区の38万m2の土地が、立地面を含め、様々な面で最適地とであるということで購入を決定しました。実際、この土地は、リゾート会社が一部の木を切り倒した後に破産して、地元にとっても宙に浮いた土地でありましたが、一度も農薬、化学肥料が使われたことのない土地という、私ども自然農を行うものにとっては、理想の土地でありました。まず、開拓開墾から始めなければならないという状態でしたので地元で重機を扱えるスタッフを採用、その後、群馬の地で農業を担当してくれていたスタッフが、快く、洞爺に家族で移住して農業を行ってくれるということで、洞爺農場のプロジェクトがスタートしました。

洞爺農場の立ち上げ、
事業採算から六次産業化への挑戦

問題は、12月から3月まで雪で覆われる栽培適期が少ない洞爺でどう事業採算をとり、どうやって採算の取れる農業を行ってくかいう課題がありました。というのも、ハーブや穀類などをつくって一次産品だけの出荷だけでは、従業員に十分な賃金を払いながら採算をとっていくという計画が描けなかったため、ハーブ健康酒の酒造を六次産業化として取り組むことをセットにした農場経営プランをつくりました。

そして、新規参入ではハードルが高い、酒造免許申請にも並行して挑戦し、山林の農地の開墾と、酒税免許申請、加工場建設計画などを並行してプロジェクトとして洞爺農場のプロジェクトがスタートしました。

 ハーブ健康酒の製造

洞爺でのハーブ カレンデュラ栽培1年目はまさかの全滅

栽培食物の選定にあたっては、北海道の洞爺は欧州で様々な高山植物のハーブの宝庫であるスイスと気候的にも近いのではと、化粧品の原材料としてもニーズが高く、ハーブ健康酒の原材料にもなるカレンデュラ(和名キンセンカ)を主力栽培品種に選定し、開墾した農場での1年目の種まきを行いました。

ところが、洞爺湖は有珠山の近くの火山灰質の土壌、直蒔きした初年度は、なんと1株も育たず、全滅という思いもかけぬ結果にショックを受けました。しかし次年度には、酒造の工場も稼働するため、2年連続の栽培失敗は絶対に許されない。栽培できなかった原因を徹底的に分析しました。火山灰質の土壌のため雨とともに種が流出したため、直蒔きはこの土地にあってないのではないかという結論に達しました。そして育苗、ポット植えという選択で2年目は再挑戦しました。幸いにも、2年目の夏にはハーブとしての品質もよい大輪のカレンデュラが満開に咲き乱れることで洞爺農場での農業は2年目から軌道にのりました。その土地で初めて栽培というのは、リスクが伴うものであると痛感しました。

水というインフラ面の課題

一方、加工場建設については、インフラ面の問題の解決という難題が生じました。加工場までの電気の開通もでき、オープン当初はISDN回線でのインターネット接続でしたが、ちょうど洞爺湖でサミットが開催された時期で近辺のインフラ整備が一気に進み光ファイバーが農場まで敷設されたのは幸運でした。しかし、農業、製造に必要な水の確保のめどがたちませんでした。農場、加工場が山の中腹にあるため、そこまで水をあげるには高額な水道工事費の見積もりがあがってきました。ハーブ健康酒(マザーチンクチャー)をつくるに当たって水道水を使うことは塩素などの薬剤で消毒されるため、躊躇されましたが、さらにその水道水は鉄分が多く、薬剤処理しなければ飲用にならない大変質の悪いものでしたので、とても大きな投資をしてまで水をひく気にはなれませんでした。また、井戸を掘っても、加工場の周りでは 赤茶色の水しか出てこないので、そこで自社の山林の敷地を隈なく見て回っていた時に、加工場から2Kmぐらい離れたかなり山を登った地点で湧水を発見しました。分析をすると素晴らしい水質の天然の水でありました。この湧水を利用しよう。時期は11月末で洞爺には冬に入る時期であった。緊急に対策会議を行い結論としては自分たちでこの2Kmの水道をひこうということになった。しかし、本格的な冬になると凍結してしまって水道をつなぐ工事もできないということで、突貫工事を行うために、6名ほどの男性社員が全国から緊急招集され、洞爺に集合した。既に、雪が降り、気温が氷点下に下がる中、湧水の水源から、加工場まで水をひく工事を担当してくれました。2kmの水路がつながった時には、しかし水は出ませんでした。大変心配しましたが、もう1度、2kmの水道をたどっていくと1か所が凍結していた事がわかり、その部分のパイプを交換すると水がでました。私はホメオパシーを教えるためにその時に立ち会うことができませんでしたが、東京でこの経過を見守っていました。水道がつながったという報告が会社のTV中継から伝わって来たときには、本当に嬉しかったです。うちの社員たちの勇気、気骨に触れ、当時放映されていたプロジェクトXのような気分でこの突貫工事の成功を喜び合い、こうしてなんとか水問題を解決することができました。

進出地区の地元との融合

爺農場でのもう1つの課題は、新規に外からやってきた会社が急に農場や工場を始めるため、壮瞥町には何度も足を運び挨拶をしたが、町の人々には見知らぬ企業がきたと、地元に受け入れられるための努力が必要と、群馬での撤退という教訓もあったため、地元で受け入れらるための努力は必要と農場のお披露目会を実施しました。どのようにお披露目したら有効かと考えましたが、町議会議員さんが各地域を代表して有権者との関係も深いキーマンであると考え、壮瞥町の役場を通じて町議会議員全員を招いて、農場及び酒造加工場の見学会を、農機格納庫を急造のプレゼンテーションルームにつくりかえ実施しました。そして洞爺事業の計画とグループとしての健康や食への貢献についての考え方なども自分がお話しをした。正体がわからない団体が来ると少し不安な部分があったが、実際の農場や加工場を見せていただいてよくわかったという感想も聞かれ、このお披露目会を行った後に、町との関係がよりスムーズに進むようになったと感じており、しっかりと農場進出について、地元の方に情報開示していくことはとても大切と感じていました。

その後、洞爺農場では開墾も含め順調に農業を行っており、当初のカレンデュラのみから、様々なハーブ、豆や芋類をはじめ様々な野菜の栽培も始め、その後、酒造も順調に推移し、21種類の洞爺産のハーブ酒(マザーチンクチャー)が誕生し今やグループの収益を支える農場へと育ちました。また、北海道・洞爺湖畔で、夏には、様々なハーブが咲き乱れる農場ということで、毎夏恒例となった、農場を公開して行われる洞爺自然農場・花摘み自然農体験ツアーも好評をただいています。そして、こういった様々なハーブが育ち、またハーブ酒なども生み出す自然農場を洞爺でも行っているということ自体が、グループのイメージをあげ、また自然療法などのスクールでも新たにハーブ植物学の分野を拡充するなど、相乗効果も生んでいます。そのハーブは今、用賀のレストランでは、ハーブ天ぷらとして人気を得て、又、化粧品、ハーブ酒、そしてハーブティーとして、広く活用されるようになりました。今後は、洞爺のハーブを健康のことを考えミックスしたバイタル・ハーブ(ティー)セットや、健康ハーブを、発酵させた健康飲料なども洞爺で取り組んでいきたいと考えています。

静岡・函南農場の立ち上げ

函南地区への農場の展開のきっかけは、隣接する熱海市への化粧品製造拠点の移転でした。もともと化粧品等の自社製造拠点は、東京渋谷区にありましたが、ナチュラルでオーガニックな商品をつくるために、平成18年に、公害がなく空気のきれいな、熱海市の伊豆山の山中に化粧品の新製造拠点を移動し、工場をつくりました。ハーブや果実、野菜、穀類など生産するために、その新製造拠点の周辺で、農場がないか熱海市内を探しました。しかし海岸からすぐに山の急斜面となる熱海特有の地形のため、熱海市内では農場適地となる候補地は結局見つかりませんでした。その為、最初は製造拠点の周辺の山林を大変な苦労をして開墾して小さなハーブ園をつくるのが精いっぱいでしたが、これもこぶし大の太さの萱を開墾しながらの作業で、少しのハーブ園をつくるのも大変な作業となりました。

ところが熱海市内にこだわらなければ、トンネルを超え車で30分ぐらい走ると伊豆半島の駿河湾側の函南町(丹那盆地)には素晴らしい農地が広がっていました。そこで函南町側で農場を探し、最初は函南町の平野部畑毛地区から農業を始めました。ここは西瓜の栽培や温泉などで有名な地域ですが、川の堤防脇の土地を貸してくれるという話があり、平野部で2-3反を借りて、野菜、へちま、芋、ハーブなどの農業を始めました。無農薬、無化学肥料での農業を行うため、農業用水は井戸を掘って独自の水を確保しました。

最初は草抜きとの戦い

他のお百姓さんの農地に囲まれた農地での農業は初めてでした。除草剤を使わないから逆に草を生やして周囲の農家に迷惑をかけられない。雑草の草抜きとの戦いとなりました。スタート当初は農業専任のスタッフが設定できなかったため、それ以来、東京から毎週の函南農場通いが始まりました。

東京で自然療法ホメオパシーのスクールを学長として運営しており、授業や健康相談などで、週5日は東京、2日間が函南というスケジュール。何人かのスタッフとの草抜きはしばしば日没をすぎ、20時くらいまで草抜きをやるようなことも。自然農は農薬(除草剤)を使えないので草抜きは本当に大変で、1年以上も続きました。ところが私達が本気に農業をしようと毎週東京から来て草抜き、農作業をしている地道な取組み姿勢は地元の方も見ていました。このことがJA函南東部など地元の農家の方々など、次の六本松農場展開へ支援して頂けることにつながりました。後に農業生産法人を私たちが設立して、函南の丹那盆地標高300m程度の六本松地区に30反の農場と加工場を設置して本格的な農業を始められたのも、思えばあの辛い草抜きの作業が報われたことがつながったのでは感じています。

実際にこの時期にご縁を頂き函南農場も組合員として加入しているJA函南東部は、函南町で農薬、化学肥料を牛の飼料に使わない自然な酪農での乳製品生産に取り組んでいる全国でもユニークなJAであり、農業立ち上げ時から農地取得や賃貸や地元との関係づくり、人材採用をはじめ、様々な面で応援をいただきました。また、函南地区はMOAの大仁自然農場もあり、自然な種、無農薬、無化学肥料にも理解のある農家の方も多く、様々な面でも助けられ、地元の農業関係者に企業として受け入れられることはとても大事なことだと感じています。

農地選定の難しさと土壌改良技術

なお、農業を行うにおいては、土地(土壌・日当たりなど)の選定が、作物の生育にも影響が大きくとても大事です。また賃借した土地はいつ返してくれと言われるかわからず、せっかく土づくりをしても、それが無駄になったりすることもあります。また函南町畑毛地区の土地は、農業を始めた後にわかりましたが、大雨や台風の時など、2度、畑が冠水してしまい作物がだめになることを経験しました。そのため主力農場を六本松地区に移した後は、限られた人材で農場を見なければならないため、農地を返し、畑作は六本松地区の農地に集約することにしました。

六本松地区でも、畑はいろいろな質の畑があり、自然型農業を成功させるためには、土壌改良を並行して行うことが必要となりました。幸い、私達は、ホメオパシー農業、ハーブ農法、乳酸菌を始めとして発酵土壌改良技術にも詳しかったため、土壌改良については、これら自然療法事業などで育んできた固有技術を持っており、これが自然型農業立ち上げでもとても役に立ちました。

また、新規事業立ち上げでは、手離れするまでは、何度も往復が必要になります。この移動時間というのは馬鹿になりません。また1日では終了しない課題も多く、宿泊して指導できるよう農場の近くに家も購入しました。当時、拠点が渋谷近くの池尻大橋にあったので、東京拠点と函南農場との往復でも2時間以上、渋滞すれば3時間以上にもなりました。それでも東京から日帰りできる距離にあり、日帰りで朝から夕方まで東京から指導を行なえ、また他のスタッフも応援できること、これが農業立ち上げ成功には欠かせない重要な条件だったと思います。平成26年には、農業応援など、農場の往復のことも考え、東京の拠点も、池尻大橋の物件を売却し、東名高速の終点、用賀インターから1kmの現在の拠点に移りました。農業の候補地選定にあたっては特に東京などの大都市本社の場合は農場までの移動距離が農業立ち上げでは重要な要因になると感じています。

とにかく課題は人材に尽きる

洞爺には、群馬から農場の責任者として活躍してくれている社員に農場全体のことをまかせればよかったが、函南は、私の下で農業をまかせられる人材を育てていくという人材確保、人材育成の課題が今でももっとも大きな課題ではないかと思っています。企業は人なりというが、私どもにとって新規事業となる農業、食品加工もその成否は人材確保、人材育成につきます。洞爺と違い、函南農場は東京近郊でもあり、農業経験者がいないため、スタートでは、農地の選定や、交渉、開墾、計画づくりまで、私自身が秘書と2人の主導で行いました。そして東京勤務や熱海の化粧品工場や発送拠点から農業を行ってくれる人材がいないか募りました。これまで農業を行ったことがない者も含めて、声をかけ、お願いしました。また函南地域でも私どもの農業を手伝ってくれる方を募集しました。結論的には、徐々に人材は育ってきているが、農場や六次産業化を任せきれるまでの人材は、まだ育っていないため、今でも、毎週、私自身も農場に出向いて、農作業や加工についての指導を行っています。また、農作業は集団作業が効率的なため、毎週東京から車を出して農業応援を続けています。

東日本大震災 被災地支援で食と農業の大事さに気づき社運をかけて農業に取り組む決心

ところで一事業として、グループで取り組んでは来たのだが農業に社運をかけて本腰を入れようと思ったきっかけは、2011年3月11日に起こった東日本大震災でした。救援物資を持って、福島、宮城、岩手各県の被災地を回る中で、最も被災者に喜ばれたのは、新鮮な水と新鮮で安心・安全な野菜や保存食料でした。この時、これからの日本にとって、最も大事なものは安全安心な食であり、それを守るのは農業であり、それも安心安全な食を見据えた農薬、化学肥料を使わない自然農が企業の使命ではないかと感じ、資金、投資、人材的にも社運をかけて農業を推進する決心をしました。

食糧支援の第一陣に続き、被災地3県を回り社運をかけた農業への投資を決心

農地を企業として取得し、農業を実践できる農業生産法人 日本豊受自然農(株)を設立し、静岡県函南町六本松地区に農地を取得することになり、また、化粧品、酒だけでなく、健康常備食(レトルト)などの加工食品での自社製造の六次産業化を目指すために、六本松地区には食品加工棟を2棟建設することとし、農場の土地投資、建物投資、食品加工機械投資、農業機械投資を行い、人材シフトを行いました。ただ、唐突に経営者が農業を主に取り組むと宣言したものだから、最初はグル―プ各社の重役等にも抵抗があり、その説得やベクトル合わせにも時間がかかったが、最終的には皆が一枚岩となっての推進となった。振り返ってみても、経営者が本気でないと自然農という、従来の慣行農業でないスタイルでの農業本格参入は難しいと思っています。

各種選定基準(栽培品種・光源・培地)

栽培品種は多品種少量、稲作、野菜、ハーブ、果実、穀類、花卉まで100種類以上に上ります。六次産業化の加工製品、化粧品やハーブ(マザーチンクチャー)、加工食品、レストランの食材用、アンテナショップである豊受オーガニクスやネットでの野菜宅配など、2つの農場で多品種の栽培を行っています。
基本は路地栽培で水耕栽培等は行っていません。光源はすべて自然光で、自家採種、在来種、固定種などの自然な種にこだわっており、自生のものも出荷しています。

実際の運用と課題(栽培トラブルと対策法)

土壌改質、防虫対策、病気対策などには、農薬、化学肥料が使えないため、欧州のハーブ、ホメオパシー、発酵、また、自然農の他の農場で行っているやり方なども研究し、とりいれています。例えば、ホメオパシーは欧州のオーガニックな酪農や農業では広く応用されていて、病虫害対策や農作物の栄養状態のバランス化などでは大変、便利な技術です。

参考文献

『新・植物のホメオパシー ~観葉植物、ガーデニングから農業まで植物版ホメオパシー治療のガイド~ 』(ホメオパシー出版刊 クリスチアーネ・マウテ著 由井寅子監修

ホメオパシー技術を応用しての農業
発酵技術を応用した日本豊受自然農の土づくり

設の衛生管理

食品加工、レストランの事業を行っているため、施設の衛生管理は、食中毒を出さないために、野菜などの農作物以上に気を遣っておこなっています。このあたりは食品加工業、レストラン業の衛生管理と同じであるが、農薬、化学肥料を使わない野菜の出荷では、農薬で虫を殺してしまわない代わりに、野菜などの出荷では、お客様から、おたくが送ってきたキャベツに青虫がついていたぞと御叱りを受けたりする場合もあり、そういう場合は、すぐに倍くらいのお野菜を送りました。農薬を使わないために、虫がゼロということは難しい旨も手紙に書き、丁寧に1人1人のお客さん対応をするように指導してきた。虫の問題など、なかなか難しい部分もあるのですが、逆にお客様から、虫がついているということは、農薬を使っていない安全な野菜だからですねと言われるようなこともあり、たとえ通販でも、こういった自然農の宅配を行う場合などは、お客様1人1人との丁寧なコミュニケーションが大事だと感じています。

農場とのコミュニケーション 通信インフラ面の落とし穴、加工場建設等の認可に苦労

私どもは、もともと教育分野で、2004年からインターネットTVを使って、各スクールを結んでの同時TV中継授業を行ってきました。現在でも、洞爺農場、六本松農場を含め目国内外9拠点をインターネットTV会議で結び、毎日朝会、夕会を行い、日々の業務のベクトル合わせを含めたコミュニケーションを行っています。しかし、平成23年に農業生産法人を設立し、平成25年に2つの加工場が完成し、六本松での農業と食品加工事業が本格するも、インターネット回線については、近辺は光ファイバーを敷設する予定がなく、ADSLも電話局から遠かったため大変品質が悪く、テレビ会議に耐える品質を確保できなかった。一時は通信衛星を使ったインターネット回線の導入も検討したが、原因不明の通信切断が多く、同じくテレビ会議に使えるような品質ではなかった。長らくテレビ会議を行えない状況が続いていたが、NTTが光ファイバーを使った専用線サービスを提供していることがわかったので、月額コストは大変高額(20万/月)だが、農場とのコミュニケーション手段確保のため、やむを得ないと判断、導入に踏み切った。まったく光ファイバーの引かれていない地域だったので、審査にも工事にも時間がかかり、開通したのは本社を使用し始めてから1年後のことでした。(平成26年9月)

工場・加工場建築へのこだわり

東日本大震災の経験を受けて、できるだけエネルギー消費量を減らすため、住宅レベルで行われるような再生可能エネルギーの導入や(太陽光発電、太陽熱蓄熱暖房・給湯(OMソーラー))、省エネ性能の高い仕様の工場の建設を、本社・洞爺事業所ともに進めました。同時に、中で作業する人たちの作業環境を改善し、加工場で作られる製品への悪影響を少なくするために、自然素材を積極的に導入しました。

洞爺事業所の木造セミナーハウス
地熱と太陽熱を取り入れた加工棟
子供達による間伐材の伐採、林業体験

具体的には、漆喰壁や珪藻土壁、北海道産のホタテ貝を再利用した漆喰壁、地元の富士ひのき、北海道産唐松の使用、調湿機能のある構造用面材、ヘンプを使った断熱材の導入など、自然農へこだわるからには、自然建築にもこだわった建物を目指したため、完成してみると工場とはとても思えない住宅並の快適な作業環境が実現できました。

食品加工場(レトルト、料理下加工、豆腐製造、発酵関連)の立ち上げ

また、農場に隣接する加工場にて食品加工、豊受健康常備食(レトルト食品)加工ラインを平成25年に立ちげました。六次産業化、食品加工の工場立ち上げは、加工建設も含め、設備投資、また生産管理、人材手配など1からの新規事業としての立ち上げとなり、こちらも農業とは違った苦労がありました。特に化粧品と加工工場の設備投資金額も大きく、既にマーケットのある化粧品とは異なり、自社農場の自然農の野菜を材料に使って、化学調味料や合成保存料など無添加で安心安全は食材が1人暮らしで時間のない方にも楽しんでいただけける豊受健康常備食(レトルト食品)の事業は、マーケティング、市場開拓から始めていく新しい挑戦となりました。

自然農から都会の消費者とつながるために 東京での豊受オーガニクスショップ&レストランの挑戦

平成26年12月、農場のある静岡・函南ではなく、東京世田谷区の用賀に、自社農場の農作物を材料に使う和食レストランと、自社農場の野菜や加工品とともに、地元静岡県やオーガニクスな商品を集めたアンテナショップをオープンしました。まず、なぜ函南町でのレストラン開業でなかったのかというと、大都市の消費(お金)を地方と循環させるためには、農村にレストランやショップをつくるよりも、東京につくる方がよいこと。さらに、日本人の健康と日本の農業の復興のためには、オーガニックなハーブな和食文化、ビジネスの普及が重要と考えました。そして、このレストラン事業の中には、安心・安全で栄養あるという食のキーワードに加え、食は美味しくなければならない。そして見た目も美しくということを方針とした。和食は、ユネスコの世界無形文化遺産にも認定され、世界でもブームになっていてトレンドにも乗っています。ここでも全くの新規事業のため、和食の職人、料理長探しは大変でしたが、なんとか素晴らしい腕をもった料理長を迎えることができました。また厨房、レストランの設計も初めてでありましたが、中央にかまどを囲んだオープンキッチンスタイルの設計で、こちらも様々な制限のある中、以前、自動車や北欧家具のショールームであったスペースが木調の和の格調あるレストランのスペースに生まれ変わりました。ここで問題となったのは、和食一筋の一流の料理人といっても、自然農場の農産物を活かし、オーガニックな材料での和食の料理、メニュー開発、それも、健康志向のハーブ料理といったコンセプトでのメニュー開発は初めてです。料理長に料理をする前に一緒に農場に入ってもらって農作業をすることから始めてもらいました。苗の植え付けから、草抜き、収穫なども体験してもらいながら、またその当時、本格稼働への準備段階にあったレトルト工場でのメニューづくりも並行する中で、料理長と様々な議論をしながら、日本豊受自然農の哲学に合った和食のメニュー開発を行ってきた。これも何か手本があって模倣するといった、最初から正解があるようなものではありませんでした。このオーガニックでハーブな和食というコンセプトについては、私は時代の先を走っているものだと確信と自負を持っています。

さらに目指すべき方向 医・農連携 自給自足が可能な豊受ビレッジ構想へ

そして、次のステップでは農村で、心の疲れた方や、体を病んだ方も受け入れ、また過疎の時代、子育て家族も含めて農村が生き生きしてく核となるような医・農連携のビジネスモデル「豊受ビレッジ」構想を推進したいと思っています。そこでは、海外ではお馴染みですが、リトリートセンターといって、農業で心や体の癒しをしながら、心や体の疲れ切った人々も、大自然の中、農作業なども含めて健康になっていくようなセンターを自然療法とのコラボレーションでつくりたいと思っています。また、人生の最後を看取れる、そして畳の上で自然な形で寿命を全うしていけるようなクリニック&介護老人施設もつくっていきたい。そこに入居する方も、一部の農作業にも加わってもらい、過疎でなく、地域に息吹をともすような事業へと発展していくことを夢みています。医農連携の関係では、作物としても、ハーブをさらに進めて、生薬原料となる薬草の無農薬での栽培という、日本人の健康を支える材料の供給にも、これから取り組んでいきたいと思っています。

六次産業化を行うには家族経営でなく企業や行政が運営していかないと難しい分野だと思います

自然型農業から六次産業化という形で「農業」ビジネスを展開することは、例えば投資的にも、土地、建物、加工設備、農業機械と、人材投資含めなくても、六次産業を創造していこうとすると、私どもの会社でも何億円規模の投資となっています。これは従来の家族経営的、家族の利益を中心にした農業のやり方では、とても対応できる規模ではありません。一方で、農業は、国の安全保障の基礎であり、安心、安全な食を供給するという、国民の生命や健康を守ることにも直結する大事な部分を担っており、これからも皆で守り継いでいかなければなりません。しかし日本の農業の現実、特に今後を予測すると、現在の家族経営的な農業、また従来の農業政策の延長では、働き手も今後いなくなり、また、農地を維持することもできないという状況となり、やはり、この閉塞状況を打破にするために、家族経営を超えた、企業や行政が、農業に参入して、これからのビジネスモデルをつくらざるを得ないのではないかと思います。

新しいビジネスモデルの社会への発信

新しいビジネスモデルを展開しようと思ったのは、平成23年の東日本大震災の被災地支援をきっかけに日本を食と農業から復興していきたいとう思いからでした。そのために当初から自分たちの企業経営さえうまく行けばよいのではありませんでしたので、豊受自然農の取り組みについては社会に発信していきたいという強い思いがありました。そのため農業生産法人を設立して以来、翌春から「自然型農業での日本を復興」をテーマに、毎年100名以上を集めて、食と農業、そして健康についての「日本の農業と食シンポジウム」を開催し、タネの問題、土づくりや発酵、自然型農業の実践、生薬原料となる薬草栽培の日本での復活や、食原病の克服などをテーマにシンポジウムで取り組むことで、その検討結果を社会に対して情報発信を行ってきました。幸い自然療法の教育部門や出版部門もありましたので、ホームページやYOUTUBEを使って農場の活動をPRしたり、また、「豊受」という会報誌などもつくったりしてのPRも行ってきました。将来は、農場の魅力を伝えられるようなインターネット豊受テレビ局をつくったり、また日本豊受自然農のドキュメンタリー映画を企画したりして、多くの方に豊受自然農の農業の魅力を知ってもらいたいと思っています。

 東日本大震災以降毎春 日本の農業と食をテーマにシンポジウムを主催

ちょうど、平成26年にはNPO元氣農業開発機構の理事として迎えていただきましたので、こういったNPOの活動にも取り組むことで、私ども1農業生産法人だけの活動にとどまらない活動にも参加させていただく機会が増えました。例えば、平成26年、27年と連続で、農林水産省主催で行われるアグリビジネス創出フェアに出展させていただき、そこで日本豊受自然農として、自然農に関する技術プレゼンテーションを発表させていただきました。

また、農村更生協会が運営し全国47都道府県のトップとして農業研修を行っている八ヶ岳中央農林大学校の実験農場を舞台に日本の農業を復興させるための農業技術を確立するための実証実験プロジェクトにも参加させていただいています。

このような活動は、直接利益には結びつかないため中小企業としては負担も大きいですが、こういった社会的な活動や社会に対する情報発信は、必ず将来有形無形に企業活動にもプラスなる形で戻ってくるのではないかと考え、地道に取り組んでいます。

また、静岡県に本社があるからには、私どもの企業はまず地元静岡県民に愛される企業になろうと、県や地域が主催する物産展などにも出展したり、ご縁をいただきました静岡TVでは、自然化粧品のテレビコマーシャルも1年以上行っており、こういった地域に受け入れられるための活動も大切と考えています。

その他の課題

加えて企業として自然型農業に参入してみて、まだまだ、様々な課題をクリアしながら事業化していく必要を感じています。実際に農業を行おうとすると、効率化のために過大とも思われる機械投資が必要になったり、農業従事者一般に農業現場での労災などの安全意識が低いことから始まり、国際競争力が求められる製造業などのものづくりなどの現場で比べ、品質管理や作業効率化、改善活動などへの取り組みもまだまだ全体的に見ると農業分野は遅れていると思います。また行政側にも様々な課題がありあます。国民の健康、安全、安心を第一に考えた無農薬、無化学肥料での農業の推進支援策も不十分であること。自然型農業普及のための実証実験を含めた技術確立や標準化が日本では遅れていること。農地・農業政策、獣害対策、有機JAS認定、農業への企業参入の場合などの法整備、そして農業からの六次産業化を担う人材育成など様々な課題を産官学、そして国民と一緒になって考えて必要があると考えます。

農業に六次産業化で取り組み、ビジネスとして成功させるには

私どもは、日本の将来のために、農薬、化学肥料を使わない、自然な種や土づくりにこだわった農業から、化粧品、食品製造また、今後は地域も含め、自然な食や自然療法、心のケアを含めた医・農連携の豊受ヴィレジ構想やオーガニクスな和食の食文化復興から日本人の健康と心の復興を目指すユニークな活動を実践してきており、その構想自体も実現可能性が見えてきた。振り返ってみて、大事であったかなというポイントは、農業の現場から顧客開発まで、人まかせにしないこと、他力本願でやらないこと自前の投資や経験のないことを行うため失敗もたくさんあったが、自分で経験し身につけていったことは、ビジネスの推進においては大きな財産となる。特に、農業を行っていく中で、販売、顧客対応の部分までを、人任せにせず、自身の手で担当していくことが重要と思います。ここまで取り組むことで農村のある地方にも雇用や産業が創出され、地方と大都市でお金も循環します。

このような、自然型、オーガニックな農業をもとに、新しい六次産業化のビジネスモデルを確立していくことが、これからの日本の農業、地方の創生には大切なテーマではないかと思います。

新規参入企業へのアドバイス

一つ、なぜ農業参入するのか、目的をしっかりしないと挫折する。

一つ、農業参入にはお金がかかるので、ある程度の資金を準備すること。

一つ、天候の左右され失敗することもあるが、真摯に受け止め、原因をしっかり考え、土地・作物に適した方法を工夫しながらあきらめずに取り組むこと。

一つ、1人でやるのではなく、志を同じくする仲間と一緒に取り組むこと。

最後に

農業に取り組んでいると、安心、安全な食をつくるということは、植物や、太陽や雨の恵み、そして植物自体の力、また土壌菌をはじめ生態系の様々なコラボレーション、大自然によって、恵みを私たちがいただているという部分を常日頃から感じています。そのため、日本の神話にも登場し、穀物、五穀豊穣の神様でもある「豊受」の大神から社名をいただき、日本人の健康の食のために尽くそうという志のもとに、農業に取り組んでおります。もちろんビジネスですから資金繰りなどのビジネスプランなども大事だと思いますが成功には、何のために農業を行うのかという志とうものが、困難な課題を乗り越え、事業の成功につながるのではないかと思います。

万物生命、その存在自体に感謝し、命そのものを生きられんことを!

\ 最新情報は各SNSでも配信中!フォローお待ちしています /

目次